価値観

10.君は温厚な人間か

「温厚」という表現がある。
言葉からイメージされるのは例えば「怒らない」「暴れない」「大人しい」といった意味合いか。
ウェブ上の時点を見ると「穏やかで、優しくまじめなさま」(デジタル大辞泉)とある。
穏やかも優しいも真面目も基本的にプラスの意味合いで用いられるし、温厚という言葉もそれがプラスの意味を持っていることに異を挟む人物はまあいないだろう。私だってそこに何か言いたいわけじゃない。

さて、温厚な人間というのは一つの目指すべき姿かもしれない。プラスの意味なのだからそうありたいと思うことに問題は無いだろう。
しかし、穏やかで優しくて真面目とは何か。普段ニコニコしていて人に優しくて真面目に生きていれば良いのか。まあ、人によっては良いのかもしれない。そのように言う人もいるだろう。
しかし正直な話、普段からそうではない人間がどれほどいるか。別に実害の無い範囲であれば大人しいだろうし好ましい相手には優しいだろうしそうあるべき時には真面目な人間は山ほどいる。それらすべてが温厚と評されているわけではないと思うと、温厚であるには別の条件がありそうだとも思う。

話を強引に本題に繋ごう。
温厚という単語に限らずだが、人を都合よく認識しすぎではないかというのが本題。
温厚な人間が真にその温厚さを発揮するのは、普段の生活の中ではないだろう。
「他の人間なら怒鳴ったりといった『温厚ではない行動』によってどうにかしようとする場面を温厚なまま切り抜けることができる」のが温厚なのではないか。
「酷い悪口を言われても怒らないでへらへらしている」のは日和っているだけだし、「緊急時にはおろおろしている」なら無能なだけだし、「危ない時にも冷静だけど役には立たない」ならそれは馬鹿という。
「酷い悪口を言われても冷静に言い返して黙らせる」「緊急時には冷静に解決手段を出し、それが暴力等の手段ではない」「危ない時にも冷静に対処できる」というのが温厚な人間であって、大人しいだけの役立たずは役立たずが先。
例えば優しいだって同じで、「誰にだっていい顔をしている人間が優しい」なのではない。普通ならその優しさよりも怒りとかが勝る場面で尚、優しい態度をとることができる人間が優しい人間だ。

この間違いは人間を見るときにとても深刻で、見誤ったまま付き合っていると何かの拍子に「こんな人間だったのか」と思わされる羽目になる。
温厚という単語を選んだのは、ずっと昔に知人とそんな話をしたからだ。

そして、学生の頃に「優しい人だね」と私のことを評する人が何人かいて、私はずっとそれが理解できていなかったのだけれどそれを先日ふと、このような勘違いをしているのだと理解したのでメモ代わりに記載した。

ちなみに、私は自分を大人しい人間だとは思う。しかし、温厚だとも優しいとも思わない。
大人しいのは、暴力やそれに近いものによって解決することが私の力では困難だからだ。優しさではない。それよりは会話によって解決する方が簡単で、しかも後に禍根を残さないことを知っているからだ。
私は「暴力によって解決するのが最善」だと思えば多分ぼこぼこに殴るだろう。そんな場面はあまりないだろうけど。

このように、表層の行動と深層の根拠は第三者の認識から乖離している場合も多々ある。色々な場面を見てから、その人の人となりを判断できるようになりたいものだ。

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