日記 · 価値観

参議院選挙がありますね

多分、7月に。6月になったらこの記事を書こうと思っていたので、書くわけです。今まで私は大体「こう思うよ」という内容の文章を書くのは「こういう価値観が広がってくれた方が良いなぁと思うから」だと言っていたし、実際そうなのだけど今回はちょっと違う。

「こういう考え方が必要だと思う」というのが理由。何が違うって話はまあ長くしたくないので簡潔にしてしまうけど、要するに「このままだと非常に悪い」と予測できる点。何が悪いかって選挙の話をするんだから日本の政治の形が、というところか。

まず初めに逃げ口上ではないけれど、私は政治専門の何かを学んだわけではないし、そういう知人が近しいところにいるわけでもない。私がこれから書く内容は、私自身が正しいと信じているものだけど、その判断は(当然だけど)読んで頂いた各自にゆだねることになる。とりあえず「こういう考え方があるのか」と思ってもらえれば、無駄ではなかったなぁと思うものだ。

では本題。

 

 

参議院選挙で、自民党に投票してはいけない。という話。
ただし長くなるので、面倒くさい人はスクロールしていって太字の「まとめ」だけでも読んでもらえれば嬉しいよ。

自民党に入れるな、などと言うと、「アンチ自民党ですか」と思われてしまうのは分かって言っているのでもう少し話を読んでほしい。
まず参議院には直接関係はしない話だけれど、少し前の「強行採決」でしばらく物議を醸していたことは覚えているだろうか。安保法案関連で、2015年の6月頃だったか。私は当時もツイッターを使っていたのだけど、何というかそこでたくさんのRTをされる記事や意見はいつも「民主党の方があの短い政権時代にたくさん強行採決してたじゃねーか」とかいう話。いや、そうじゃないでしょ、と。オタクが民主党嫌いなのは知ってたけれど。(今は名前変えたね。)それだけされまくっても何一つ改善されてない現状の方がよっぽど問題でしょうと。
そういうことも言いたいのだけどとりあえず置いておいて、まあ一つ当たり前のことを考えてほしいのだ。

「強行採決が為されるのは、強行採決ができるから」

強行採決ができるってどういうことかというと「議席がたくさんあるぞ」ということ。まあ強行したい内容によって議席数は変わってくるけど、それこそ2/3あれば何でもできちゃう。今は与党が過半数持っているね。で、それが出来るっていう、つまり「国民の支持」を理由に「話し合いすら放棄して無理矢理採決することができる」という環境は、読んで頂いている人々にとって良い環境なのか、と聞いたら全うな考えをする人なら否定的に答えるだろう。
なのに、特に考えもなしに自民党に入れる人間の何と多いことか。(現野党が本当に頼りなく情けなく呆れる程の醜態を晒しているのは私も分かってるつもりだし、それくらいならまだマシな自民に、というのも理解できなくはないけれど)。
「自分が良いと思っている政党に」というのはもちろん選挙の形としてあるべき形だし、そういう流れが大きいことは分かっているのだけど、本当にそれで良いのか?と考えてもらいたい。私たちが本当に望んでいるのは、「良いことを言っている政党に任せる」ことではなく、「良い政治が行われる」ことではないのか。見境なく現与党に票を注ぎ込み、強行採決も簡単☆というような状態を作ることは、本当に「良い政治」のためになるのか。
バランスを取らないといけないのだ。日本はまだ平和だし治安も良い国だから安定して見えるけれど、大事なことを無理矢理押し通せる環境というのはその土台をどんどん不安定なものにしていくことに他ならない。「安定して見えるけど一歩間違えたら総崩れする環境」は安定しているとは言わない。

国会議員の仕事とは「自分の願望を押し通す」ことではなく、「どうすれば現状をより良くできるのかを話し合って方法を選択していくこと」である。その仕事を怠けてはいけない。
今だって舛添とかいう都知事と思いたくもない輩の問題が噴出しているが、あれも昔は(少なくとも言っていることは)まともだった。(最近は言っていることすらまともじゃない。)
私たち国民はもう少し政治という世界で自浄作用が働いていないことを自覚するべきだし、自覚したならそれに基づいた行動をとるべきだ。つまり、一か所に力を与えすぎないこと。
第一党が自民党なのはまあ良いのではないか、と思う。問題だらけではあるし、もっとうまくやれる人物はきっといるのだろうが、なかなか表には出てこない(優秀な人間はよほどの覚悟がないと政治家になることを選ばないだろう)。
で、こんなブログを読む人間もそういないだろうしせめて読んだ人にだけでも考えてほしいと思ったが故の、「自民党には入れるべきではない」という話である。

で、だからこその次の参院選である。話を戻そう。
参院選で自民が議席を減らしてもそこまで効力があるとは思えない、という人もいるだろう。参院選で自民が仮に大敗したとしても衆議院の議席には直接的には影響はない。まあ、参院選で大敗する政党が衆院選で良い思いを出来るわけがないのは現状を見れば分かるけれど。
何よりもあの状態を危惧している人もいる。あの状態って何かといえば「ねじれ国会」である。

「ねじれ国会は困る。衆院参院で第一党が違うと政治がスムーズに進まん!」
というのはもはや常識になっているのだけど、それに対して

「ねじれ国会は寧ろ推奨されるべきだ。」
という考え方が何故為されないのかという話。

さっきも言ったように国会議員の仕事は話し合ってより良い方向を選択していくことである。何故衆議院と参議院が同じ結論を出す前提で話を進めなければならないのか。衆議院で採択された結論はそんなに参議院では否定されるものなのか。それで良いのか。

そもそも衆議院と参議院の違いは何か、覚えているだろうか。一応義務教育で教わっている内容だ。
ぶっちゃけた話、任期が違う。それに伴って、被選挙権を得る年齢も違う。何故か、というとそれは参議院はより長期的な視点で物事を考えるためのものだから。
極端な話、衆議院が「こうすればきっと良くなる!」といって提出した法案に対して、「それはさぁ、今は良いかもしれないけど数年後にもっと困ったことを引き起こしてしまうよ」という考え方でストップをかけられる。これは衆議院が短絡的だという話ではなく、別の視点を持った組織がチェックする機会が必要だというだけの話だ。企業にだって企画書とかをチェックする人がいる。その企画書のチェックを企画書執筆に携わった人間だけでおこなう訳がないではないか。別の視点で(例えば社長が)見る人が必ずいる。製品の性能や使いやすさなどの視点を持った開発チームの企画に対しても、どこかで必ず経営的な視点でチェックを加える必要がでてくるよね? じゃないと極端な話、大成功したけど大赤字なんてことにもなりかねないわけだ。

ねじれ国会、別に良いじゃんって思わない?
何度も言うけれど、国会議員の仕事は話し合うことだ。それを省略しようとするべきではないし、省略しようとする流れには逆らっていかねばならない。というか、私なんかは長い自民党政権の中でうまいことねじれ国会という言葉のマイナスイメージや=良くないものという認識を広めたものだと思っているのだけど(事実は分からないよ)。
もちろん、頼りなくて不甲斐ない野党にも問題が大ありだ。与党が何を言っても働かない頭で「反対反対」と繰り返しているのも馬鹿らしいし、そういう政党に入れたくはない。分かりすぎて、もうため息も出ない。
ただ、それを踏まえてもこの現状は変えていかないといけないものだと思っている。そもそもため息も出ないくらいにいかれているのは自民党だって同じではないか。現総理の「集団的自衛権についての説明」とか頭が悪すぎて話にならない(それに対する野党の批判も頭が悪すぎてどうしたらいいのかというのは正直どんづまりだった。

まとめ

長くなってきたのでまとめよう。
・まず、政治家が何でも正しい判断ができる有能な人材の集合体だと思ってはいけない。(というのは多くの人が認識していることだろう。)
・で、そういう訳なのだから一か所に力を与えすぎてはいけない。「安倍はヒトラー」などと言う気はないけれど、「ヒトラーは民主主義(当時のドイツは世界でも民主主義の進んだ国だった)の中から生まれた」のは事実だ。生まれやすい環境を放置しておくべきではない。
・一か所に力を与えすぎないというのは、現代日本であればまずはとりあえず強行採決が不可能な状況を考えれば良いだろう(寧ろそれが出来る現環境を野党は恥じてもらいたい)。
・そのために、どこでも良いとは言わないが既に票が集中することが分かっている自民党には入れるべきではない。これは「他に良い政党があるから」ではなく「政治のパワーバランスを取るため」だ。

普通は意見を述べてもまあ「そういう考え方もあるのか」と認識してくれてれば良い、くらいの感覚なのだけど、今回は納得までしてもらいたくて書いている。今後もなかなかそういう文章は書かないだろう。
ニュースを見て「強行採決は良くない」とか、「ちゃんと話し合いをしろ」と思ったことがあるならば、まずは少し考えてほしい。そのきっかけにでもなれば幸いだ。

追記。
今までの政治ニュースでとても驚いた事の中で記憶に新しいのが先ほどぼろくそに言った安倍総理の集団的自衛権の説明。これに「説明できている」みたいに言ったのが10%くらいいるとかいう世論を見てそれはもう驚いた。
頭が悪すぎて話にならない、とまで書いたので何がどう頭が悪かったのかをここで記載。

やれ「友達と一緒に帰っていたら友達が不良に襲われてボコられて、次に自分がやられそうなときに助けないのか」だの、「隣の家が燃えていて自分の家に延焼しそうでも消火器を使えない」だのという説明(笑)をしてきたのがあの人なわけだ。
で、散々指摘されている話ではまあ「そのケースなら個別的自衛権で対応できる」というのはまあ、置いておいて(この時点で論外だけど、まあ私は先述の通り専門ではないのでそこについては触れない)。

その「このままだと自分(日本)がやばい!」というのをどういう基準で判断するんだと言っているのだ。現総理が明確に意思と基準をもって判断しようとしているとしよう。現総理はそこで誤りなどないくらい優秀な人物だとしよう。(ありえないけど)。
で、じゃあ次の総理はどうなの? その次は? 誰が判断することになるかも分からない位先まで残る可能性がある法に、どうして主観が多分に含まれる要素を放置して「説明した」などと抜かすことができるのか。
これを以てあの説明が何の意味も持たないし頭が悪すぎて話にならない、のである。

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