価値観

6. 人に許されたい人達

人に許されたい人が多すぎる。
「許されたい」は「行動を認められたい(お墨付きが欲しい?)」とニアイコールだ。イコールではない。

「こう思うんだけど良い?」
というそれはもう不可思議な疑問そのものが要するに私には不思議なものだという話。
別に許可なんて要らなくないか?
これが他者の家にいて、その家独自のルールなどが想定される状態である、とかならまあ分からないではないのだけど、今回の話はそういう話ではない。

私はお笑い芸人の「厚切りジェイソン」氏のツイッターをフォローしていて、よく氏にあれこれと質問(人生相談?)がきていて彼がそれに答えるという図を見る。
例えば、「専門学校に行きたいんですけど友人は反対します。どうしたらいいでしょうか?」みたいなもの。
まあ、専門学校に通うのを悩んでいるのが中学卒業前の少年少女ならこれはそれなりに可愛い悩みなのだけど、それが時には「今の仕事は安定はしているんだけどやりたいことではない。転職するか悩んでいるけどどうしよう?」とかいうもう良い歳して何言ってんのか、というものまで散見される。
ジェイソン氏は大体「自分なら自分が成長できると思う方を選ぶよ」という旨の回答をしているが、なんと親切なんだろうかと私なんかは思ってしまう。まあ、芸人さんは人気商売だししょうがないのかもだけど、私ならそんなのは「知ったことか」と言いかねない。有名人は大変だ。
2. 行動の責任は誰にあるの問題(個人編)でも言ったと思うけど、自分の行動くらい自分で面倒見ろよ、という話でもある。

「どうしたら良い?」という質問に対する答えは「君がやりたい方で良いよ」である。


ただ、もしも本気で悩んでいるなら簡単な方法がある。
人に「どっちが良いかな」は考えられる中でも特に酷い手だ。そんな論外な行動を取るべきではない。それは自分に逃げ道を用意するだけで、成功も失敗も保証も担保するものではない。あなたがもしも逃げ道を用意する(人に責任を擦り付けた気になることができるだけのもの)ことが目的なら良いのかもしれないが。

本気で行動の選択肢に悩んでいるなら「簡単な方」と「大変な方」に分ければ良い。それができたら「やりたい方」は「大変な方」だ。そもそも「簡単と大変」「やりたいとやりたくない」それぞれはプラスとマイナスの関係であって、悩んでいるということはそれが拮抗しているということだ。とすればやりたいのは大変な決まっている。(つまり、「どうすればいいかなぁ」なんて間の抜けたことを聞いている時点で答えは出ているし、だから真面目に答えたりすると「でもさぁ」などとさらに間の抜けた答えが返ってきたりするのだ)

誰が同意して誰が同意しなかろうと、行動をするのは自分だ。
誰が許しても誰が許さなくても、やろうと思えばできるし、やらないでいようと思えばそのままになる。
それらを天秤にかけるのは、その行動の主語になる人物しかいないことに、気付かないといけない人が少し、多すぎると思うのだ。

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